行けるところまで行ってみよう

1年たつのは早い。早すぎる。ここまできたら行動あるのみ。後悔先に立たず。

『マンスフィールド・パーク』 複雑に入り組んだ男女関係の結末と当時の風習が興味深い

f:id:soratomo55:20220308193749j:plain

 

マンスフィールド・パーク』 ジェイン・オースティン / 中野康司訳(ちくま文庫)を読みました。

オースティンの作品は一見何でもないストーリーなのに、読み出したらおもしろくて止まらないんですよね。オチが気になって気になって。この関係(ファニーとエドマンド、メアリーとエドマンド、マライアとラッシュワース氏、他にも複雑に入り組んだそれぞれ2人)がどうなるのか、昼メロのようなどきどきハラハラ感がたまりませんでした。

そういうエンタメ的な楽しみ方がある一方で、当時の上流階級の生活習慣、考え方なども垣間見えて興味深かったです。

例えば、ラッシュワース夫妻の新婚旅行に妻マライアの妹ジュリアが一緒についていくのですが、今だったらえっ?と思いますよね。でも当時は女性の近親者が新婚旅行に同行するのは普通のことだったとか。

他にも、ファニーの実家でプライス夫人がワイシャツの袖を探している場面があります。ワイシャツの袖?って思いますが、当時はワイシャツの胴の部分と袖が別々に売られていて自宅で縫い合わせていたとか。

作中に解説がついていて、へぇ〜とか、ほぉ〜とか思いながら読むわけです。「文学どうでしょう」で紹介された岩波文庫版は読んだことがないのでわかりませんが、ちくま文庫版の訳者あとがきにも作中で上演される予定だった劇『恋人たちの誓い』について簡単に触れられていて、誰がどの役をやるはずだったのかや、この劇が不義密通という不道徳な行為についての劇だったことがわかります。

オースティンの作品はどれも人物描写に優れていて、登場人物の一人一人がありありと浮かび上がっています。淡々と描いているようで読者をぐいぐい引っ張っているところもさすがです。

主人公ファニーがおとなしくて派手な動きもないため、『マンスフィールド・パーク』は地味な作品に思われるかもしれませんが、どうしてどうして、おもしろポイントがいろいろあって読みがいのある作品です。

ただ一つ難点が。文庫本1冊で730ページあまり、厚さ2.5センチ、重いの何のって。上下巻2冊に分けてほしかったです。

「文学どうでしょう」で紹介されたのは岩波文庫版の『マンスフィールド・パーク』でしたが、現在オースティンの長編作品6作を同じ訳者で読めるのはちくま文庫しかありません。以前『高慢と偏見』を出版社別に読み比べたことがあるのですが、中野康司訳が一番しっくりきました。そんなわけで今回はちくま文庫版を選びました。岩波のように2冊に分けてくれたらなおよかった。。。