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1年たつのは早い。早すぎる。ここまできたら行動あるのみ。後悔先に立たず。

『存在の耐えられない軽さ』 一筋縄ではいかない恋愛小説、重さと軽さを意識して読むとおもしろい

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『存在の耐えられない軽さ』 ミラン・クンデラ千野栄一

 

おもしろかった。食わず嫌いだったんだな。冒頭の「永劫回帰」、「ニーチェ」云々の言葉に敷居の高さを感じ読み進められなかった数年は何だったんだろう。あーもったいない。

裏表紙には「究極の恋愛小説」とあるが、そうかな? 私は「恋愛小説」説より作者クンデラの「哲学的小説」説を推したい。愛の重さと軽さ、人間の存在の重さと軽さ、心と身体のバランス、政治的軍事的出来事の重さ、そういったテーマについて思弁し、登場人物の言動に意味づけし読者に提示する、そんな小説のように思った。

だから、まるまる恋愛小説と思って読むとずっこける。まぁでも、トマーシュとテレザ、フランツとサビナの関係は恋愛関係なわけで、でもそれぞれの思考を突き詰めると、すれ違いどころかどう転んでも交わるところのない関係だったりして、そこがとてもおもしろい(興味深い)。それぞれにとって相手がどんな存在なのか、その時は何かと比べることもできず前進するしかないが、過ぎ去ってみてはじめておぼろげながらわかる。そんな感じの恋愛小説?

時間軸がバラバラで、なおかつ語られている出来事が実際に起きたことなのか、例えばテレザ、例えばサビナの心の中で起きたことなのか(妄想とでもいうか)、それが語られることによってクンデラは何を言おうとしたのかとか(何度読んでもわからない部分がたくさんある)、いろいろ考えながら読まなくてはいけないから忙しい。

で、結局、読了したもののよくわからない小説だったというのが正直な感想。

でも、嫌いじゃないこういうの。

Einmal ist keinmal.(一度は数のうちに入らない)ただ一度なら、全然ないことと同じである。チェコの歴史はもう一度繰り返すことはない。ヨーロッパの歴史もそうである。チェコとヨーロッパの歴史は人類の運命的未経験が描き出した二つのスケッチである。歴史も個人の人生と同じように軽い、明日はもう存在しない舞い上がる埃のような、羽のように軽い、耐えがたく軽いものなのである。(P283)

とても印象的なフレーズだ。そしてこの後の章で語られるトマーシュ版永劫回帰が私を魅了した。

人々は地球上で過ごした人生と経験を持って、別の惑星に生を受ける。そしてさらに次の惑星、その次の惑星と、一階級分(ひとつの人生分)ずつ成熟して惑星を移動する・・・。惑星間を別の生を受けて成熟しながら駆け上っていくとは、なんとファンタジー

時間軸が一定でないといえば、トマーシュとテレザが実は事故死しているのに、物語のラストでふたりがダンスしているシーンが出てきて、そういう構成がたまらない。トマーシュとテレザが幸福だったことを印象付けて終わるところはやっぱり恋愛小説なんだなぁ。