『善医の罪』 久坂部羊 / 延命治療と尊厳死を考える
難しい問題だ。
本を一冊読んだくらいで結論が出るものでもなく、普段から自分の最期を考えておくべきだと思わされた。
くも膜下出血で救急搬送された横川達男は、一命をとりとめたものの意識はもどらず、自発呼吸も不十分だった。主治医の白石ルネはこれ以上の延命治療は難しいと判断、横川本人も生前、延命治療は希望しないと意思表示していたことから、家族に治療を中止することの同意を求めた。家族の同意のもと尊厳死に導いた白石だったが、3年後、カルテと看護記録の食い違いを告発され、事態は病院を巻き込んだ大問題に発展する。マスコミにも大きく取り上げられ、白石は警察の取り調べを経て逮捕される・・・という話。
重い話だね。
重いっていうか、難しい。
人はいづれ死ぬんだけど、普段は死を意識することはほとんどなくて、他人の死に遭遇することも滅多にない。
だから、もし自分が死ぬとき、脳死のようにただ器械につながれて、かろうじて生かされている状態になったとき、それでも生きることを望むか、なんてことは元気なときは考えもしない。
そうなったときは自分には意識がないのだから、それを希望するのは家族や近しい人たちだろうけど、治療を止めるということはそのまま死を意味するわけだし、チューブを抜くという行為、すなわち人(医師)の行為によって人(患者)の命がそこで終わるというのは、なんともたまらないことだ。
同時に、医師のメンタルはすごいと思う。自分の行為で患者は死に至るわけだから。(本作では、主治医の白石が気管チューブを抜くことで横川は最期を迎えた) 患者が穏やかな死を迎えられるよう決断し、それを家族に告げ同意を求めるのはとても困難なことだろう。
医療とは、命を救うものであると同時に、安らかな死を迎えるためのものでもある、のだろうか。。。
尊厳死とは、
回復の見込みがない状態になった時、過剰な延命治療を行わず、自然な経過に任せ、その先にある死を受け入れること。
安楽死とは、
人為的に寿命を縮めること。
という理解でいいのだろうか。
安楽死は日本では犯罪に当たり、だから『善医の罪』では白石が逮捕された。
でも世界を見渡すと、スイス、アメリカ(州による)、オランダなどが法律で容認している。
尊厳死も安楽死も本当に難しい問題だし、個人によって考えは違い、議論もされてきたのだろうけれど、少なくとも自分はどうしたいのか。
残された家族が、自分の死後、後悔や負い目を感じずに生きていくために、生前に意思表示をしておくことは大事なことだと痛感した。
隆祥館書店の一万円選書、『善医の罪』を1冊目に選んだけど、結構難しかった。難題を突きつけられた感じ。
よくよく見てみると、残りの9冊も強敵揃いだ。
次はどれにいく? ちょっと休憩しようかな。