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1年たつのは早い。早すぎる。ここまできたら行動あるのみ。後悔先に立たず。

『スウ姉さん』 家族のために耐えて忍んで自分を犠牲にしたスウが想いの人と結ばれる話

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『スウ姉さん』 エレナ・ポーター / 村岡花子訳 を読みました。

エレナ・ポーター3冊目です。『少女パレアナ』『パレアナの青春』は超楽天家パレアナの前向きなお話でしたが、この『スウ姉さん』はまったく反対、自分の夢や恋を家族のために犠牲にして、耐えて尽くす悲しい?辛い?お話です。

?をつけたのは、それもありのハッピーエンドだったからです。耐えて忍んだ歳月がなければ想いの人と結ばれなかったわけだから良しとしましょう、ということです。

それにしても、昔から現代に至るまで、どこの国でも女性は家にいるもの、家事をこなし家族のために尽くすのが当たり前と思われていたんですね。そんなのは日本だけの話かと思っていました。日本より先をいく欧米でも「女性=家庭人」という認識の時代があったとは驚きです。無知丸出しでおはずかしい。

今ではスウ姉さんのような女性はだいぶ少なくなったと思いますが、程度の差こそあれ、同じように身動きが取れない人はいるでしょう。女性に限らず、親や家族を介護するヤングケアラーと呼ばれる子どもたち。まさしくスウ姉さんそのものの生活をしていると聞きます。

エレナ・ポーターは『スウ姉さん』を世に出すことで同じような環境にいる女性にエールを送ったといわれていますが、さて、果たして現代のスウ姉さんたちはこの物語を読んで勇気づけられるのでしょうか。

良かれと思ってしたことがあだとなっていませんか、スウ姉さん? 妹や弟に甘すぎませんか? もっと自分でやらせた方が本人のためになりませんか?

恋人はずるくないですか? スウ一家が落ちぶれた途端結婚の話に口を閉ざすのは卑怯じゃないですか? 最後に妹に寝返るなんて卑劣じゃありませんか? 

1910〜20年代はそれが普通だったんでしょうか? どうも解せません。今ではとても考えられないので。当時の読者は共感したのでしょうか? ?がいっぱいです。

262ページ、スウが「自分になりたい」と話す場面があります。いつも他の人のためのスウ姉さんであり続けたけれど、これからは自分のために一番大きな林檎と一番大きなお菓子がほしい、自分のためだけに生きたいと言います。ドナルドと結ばれたことはスウにとって「自分になれた」のでしょうか。最終的にはそうなのかもしれませんが、途中で多くのものを失っていますよね。・・・

なんだかんだ結末に納得がいかない私ですが、この辺にしておきます。

少女パレアナ』『パレアナの青春』『スウ姉さん』の3冊を読み終えて、お気に入り順に並べると、・・・『パレアナの青春』『少女パレアナ』『スウ姉さん』になります。

少女パレアナ』はアメリカ全土で大人気だったようですが、個人的にはやっぱり子ども(少女や少年)が主人公のものはちょっと苦手です。面映ゆいというか何というか。

ということで、次はモンゴメリの『青い城』を読みます。モンゴメリはエレナ・ポーターとほぼ同じ時代の作家です。実はあの有名な『赤毛のアン』シリーズ、読んだことがありません。でも児童文学は苦手なのでこちらを読みます。