『木曜殺人クラブ』 謎解きに年齢は関係ない、スリリングな余生を楽しむ高齢者たち
今まで手当たり次第に本を読んできたが、少し大人になってみようと思う。
「手当たり次第」を「計画的に」というだけのことなんだけど。
つまり、
読み終えた本(A)とどこかでつながっている本 ー 小説、エッセイ、ノンフィクション、その他ジャンルにこだわらず、(A)からどんどん仲間を増やしていこう!!っという作戦。
仲間っていっても、キーワード繋がり、あくまで私的見解で繋げていくので、傍から見たらどこが?ってのもあるかも。
でもまぁ、個人ブログなんでそれもよしってことで。
ではさっそくいってみよう!
『木曜殺人クラブ』 リチャード・オスマン
あらすじ
ロンドンにある高齢者施設。現役を引退した人たちが体力や記憶力に衰えを感じながらも日々楽しみを見つけ、仲間と、パートナーと、スリリングで穏やかな余生を送る物語。施設にはさまざまなサークルがあり、「木曜殺人クラブ」もそのひとつ。経歴不詳のエリザベスを中心に男女4人が警察もお手上げの本物の事件を解決していく。ある日、施設の関係者が自宅で殺された。その後、犯人と目されていた人物も殺されてしまう。犯人は誰なのか。謎が謎を呼び、時は50年前にまでさかのぼる。エリザベスら木曜殺人クラブのメンバーは警察とも協力し事件を解決する。悲しい別れとともに、また住人たちの新しい一日が始まる・・・。
感想とか
ミステリーだけど、この物語には穏やかで柔らかい陽の光があふれている。相手を思いやる眼差しや静かに流れる時間。ウィットに飛んだ会話。老いてもなお目の前の難題に挑戦しようとする心意気。病に伏せ、思うように意思の疎通ができなくてもパートナーを慈しむ無償の愛。
ハラハラどきどき、スリル満点とはいかないかもしれないけど、登場人物の個性的なキャラからにじみ出る生き方みたいなものを感じて、爽やかな読後感にひたれる。
病に伏せ、と書いたけど、そう、老いは万国共通で、日本でも患者が増えている認知症。
パートナーが認知症になると辛いよね。それが事件に関係しているとなると余計に。
それに、その歳まで生きて、お互い支え合って生きてきた夫婦が、自ら命を絶つってのはやっぱり辛い。
でもさ、ひとつ、ミステリー的観点からいわせてもらうと、棺の外に埋められていた人物を殺した犯人の動機、あれはどうなの? 正義? 正義で人を殺すかな・・・。うーん、皆の意見を聞いてみたい。
ともあれ、高齢者が施設に入るのは決して悲しいことでも人生を諦めることでもない。
「ママがここに入ったときのことを覚えてる? わたしがまちがいだって言ったときのこと? もうママはおしまいだ、って言ったのよね。椅子にすわって、ただ人生が終わるのを待っている人たちに囲まれて暮らすだけだって。わたしはまちがっていた。これは始まりだったのよ、ママ。パパが死んでから、こんなに幸せそうなママは見たことがないわ」・・・(中略)・・・「目が輝いているし、笑顔がまた戻ってきたし、・・・」
現実にはなかなかない光景かもしれないけど、木曜殺人クラブのメンバーみたいに、老いても最後まで笑っていたいとしみじみ思った。