行けるところまで行ってみよう

1年たつのは早い。早すぎる。ここまできたら行動あるのみ。後悔先に立たず。

『隣の家の少女』 もしかしたら現実の社会に存在するかもしれない少年とその保護者 ハッピーエンドは望めないホラー小説

f:id:soratomo55:20220320171637j:plain

こういうの、好きじゃない。

この一言に尽きる。

よくよく調べていくと、ケッチャム作品は賛否両論が激しく別れるらしい。

小説を読んで何を感じるかは読者の自由だし、スティーブン・キングみたいにケッチャムを絶賛することについて何かを言うつもりもないが、私は苦手だな。

自分が100%善とは思ってないし、弱さも醜さもあると認識しているけど、それでも本作を読むと吐きそうになるし、お前ら何やってんだよ!っていいたくなる。

ホラー小説って、世にも奇妙な物語的な空想の世界の恐ろしい出来事(超常現象)を題材にしたものだと、何となく勝手に思っていた。吸血鬼とか霊とか魔女とか。

貴志祐介の『黒い家』もホラー小説だけど、あれは読めた。『新世界より』はもっと楽しく読めた。

最後はだいたいハッピーエンドで終わる。悪、無秩序、腐敗、憎悪、もちろん恐怖にも責め立てながら、それでも最後は善が勝る。希望や光がうっすらとでも感じられるハッピーエンドが待っている。

でもね、この『隣の家の少女』は違うんだよ。恐怖は唐突に終わりを告げるが、ハッピーエンドとは決して言えないし、後味が悪すぎる。

これが恐怖なのか?

本作を世に出すことに何らかの意義はあったのか?

まぁホラー小説だってエンタメ小説なわけだし、ホラー・マニアにとっては(スティーブン・キング同様)賞賛に値する作品なのだろう。

メグに対する虐待(行為そのもの)や、虐待に及ぶ少年たちとその母が、もしかしたら実在するかもしれないと思えるから怖い。幼児虐待からエスカレートした殺人、シリアルキラーサイコパス、殺傷事件などの犯人の低年齢化、どれもいつ『隣の家の少女』にならないとも限らない殺伐とした現代に通じる。

とにかく、本作は気晴らしにちょっと読んでみようかと手に取れる作品でないことだけは言える。

あまりにもおぞましいストーリーなので、あらすじは割愛。