行けるところまで行ってみよう

1年たつのは早い。早すぎる。ここまできたら行動あるのみ。後悔先に立たず。

『オベリスクの門』 人とかつては人だったもの、両者が愛する人を守るために戦う壮大なファンタジー

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ふー。(放心状態)

なるほどね。

だんだんわかってきたよ。そうくるわけね。

次は? どうする? 

どうやって愛するものを救う?!

オベリスクの門』 N・K・ジェミシン

わかりにくさMAXの『第五の季節』から続く『オベリスクの門』。

物語は、母エッスンと娘ナッスンのパートが交錯しながら進む。


壊滅的な地殻変動超大陸スティルネスを襲う中、オロジェニーを持つ娘ナッスンを治してくれるコムがあると聞き、父ジージャはナッスンを連れて南へと旅をする。一方、地下都市カストリマに行きついたナッスンは思わぬ人物と再会する。石喰いに食べられ部分的に石になりつつあるかつての師アラバスターだ。アラバスターはエッスンにオベリスクを呼び寄せることができるか確かめさせる。アラバスターがエッスンに伝えようとする「月」、「衛星」とは? 人、オロジェン、石喰いが集まり、・・・という話。


こうやって書いていても、実はよくわかっていない。

相変わらず細かいことはよくわからないし、何いってんだこの文章?ってのが、たびたび出てくる。

最後まで読んで元に戻ると、多分わかる。伏線なんだろうなきっと。

でもその時はわからない。わからないまま読み進める。それがそのうち快感になる。大丈夫か?

シャファの身に起きたことを描くパートがあるのだが、なぜかそこはわかりやすくて(その後はまたわかりにくくなるのだけど、とりあえずそのパートはわかりやすくて)ほっとする一方、わかりやすいことが残念で落胆すら感じるのはどういうことだろう。わかりにくいまま突き進んでほしいというか。

わかりにくいところが私にとっては魅力なのかもしれない。摩訶不思議な現象、到底考えつかない設定や展開に度肝を抜かれる、ある種の爽快感といったらもう。


登場人物の中に石喰いというのがいる。「人」や「オロジェン(オロジェニーを持つもの)」を表すカテゴリーみたいなものでいうところの「石喰い」。

石喰いという存在が何なのか作中では明かされていないが、その石喰いに体を食べられる。そんな設定は恐ろしく残忍なわけだけど、その石喰いにも感情がある。

人としての感情。石喰いは人か? それは読んでのお楽しみだけど、石喰いの感情の揺れはとても興味深く魅了される。人のように繊細な心を持つ生き物。 うーん、生き物なのか、やっぱり人なのか。姿・形に惑わされてはいけない。心だ心。

P504〜510の幕間は最高だ。ゾクっとするね。


そして、この石喰いもそうだけど、本作では登場人物一人一人から、「愛する人を守りたい」という強い気持ちが伝わってくる。

ちょっと切ないのは、母エッスンから娘ナッスンへの愛。

いつの世も、親の心子知らずというか、子が親の心を知るのはずっと後。ナッスン、気づくんだ! 

親子、恋人、師弟、コム(共同体)、地球、人と人をつなぐ関係性はいろいろあるけど、その根底に流れ、結びつきを強固にするもの。

よりどころとなるもの。

愛。

信頼。


おっと、小賢しいことをいってしまった。 締めに入ろう。

『第五の季節』、『オベリスクの門』ときて、次は最終章なのだが、多分邦訳されるのは1年後くらいか。

果たしてその時、このストーリーを覚えているか、自信がない。

こんなに複雑で混み入った設定、展開、2冊続けて読んだから楽しめたが、1年後もう一度『第五の季節』から読み直すのは勘弁してほしい。

案外三部そろったところで一気に読んだ方がいいのかもしれない。

これから読む人への、私なりのアドバイスということで。 余計なおせっかいか??